What's this "aruheitou"?

其の一、八代将軍徳川吉宗も食べた?
 
八代将軍吉宗公の時代、江戸城中でも有平糖がもてはやされていたようです。作り手は『献上菓子御受納』を拝命し、なんと羽織り袴に帯刀まで許されるという扱い。さらに、お城への登城も、他の商人らが使う通用門ではなく、表玄関から堂々と通行できるという、商人としては破格の待遇を受けていました。
 一介の菓子職人にとっては、日頃から鍛えた腕を見せるよい機会であり、最高の名誉でもあったのです。


其の二、密談の影に有平糖?
1700年(元禄13年)、
幕府の重職につく柳沢吉保が、日光輪王寺門跡公弁法親王を招待した時、
吉保への贈物にアルヘイトウ一曲を賜った、とあります。
柳沢吉保はこの頃、時の人といってもよいほどの権力を誇っていた人物であり、
将軍へのお願いごとがある大名や、商売上の便宜をはかってもらいたい商人などが、
日夜足を運んでやってきたりするほどです。
南蛮伝来の有平糖はそんないけない話の影にも登場していたんですねー。



柳生兵庫助利厳
資料「正伝新陰流」島津書房刊・柳生厳長著兵庫助photo 
其の三、こんな小説にも登場!
 
信長の生まれた尾張地方は信長の死後、すったもんだのあげく徳川家康の息子である徳川義直の領地となります。ここに「尾張名古屋は城でもつ」で有名な、尾張62万石が誕生しました。そしてその尾張徳川家の兵法指南役を代々勤めてきたのが「尾張柳生家」です。
 柳生といえば隻眼の剣士柳生十兵衛が有名ですが、十兵衛は「江戸柳生」の出ですから尾張徳川家とは直接の関係はありません。ところでみなさんは、その十兵衛以上の実力をもっていたといわれる、天才剣士の存在をご存じでしょうか?鎧をまとっての「介者剣法」から、鎧をまとわない「素肌剣法」への一大改革をなしとげ、尾張柳生家の始祖でもあり、そして「柳生新陰流兵法正統第三世」の道統を継承した男。彼こそ柳生兵庫助利厳その人です。その天才剣士兵庫助を主人公にした小説『柳生兵庫助』(文春文庫刊・津本陽著)の中で、有平糖が「アルヘイ」の名で数度登場しています。兵庫助は後に妻となる少女に対し、アルヘイの入った包みを手渡しています。二人の間には数人の子供が誕生しましたが、その中の一人が後に剣聖とうたわれた柳生連也斎厳包となったのです。
 もしかしたら剣豪兵庫助が手渡した有平糖も赤、白、青のグルグル模様だったかもしれませんね。